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宮城大弥の家族構成は?両親と兄弟の関係や貧乏話を調査!

宮城大弥 家族構成 貧乏話 エンタメ

オリックス・バファローズ所属で、沖縄県宜野湾市出身21歳の宮城大弥(みやぎ ひろや)投手。

WBCでは同い年の佐々木朗希(ささき ろうき)投手と仲良しコンビで、大変話題を集めました。

14年ぶりに世界一に輝いた際には、応援にかけつけていた宮城大弥選手の両親や兄弟もグランドに降り、ともに喜びを分かち合う姿がありました。

そこで『宮城大弥の家族構成は?両親と兄弟の関係や貧乏話を調査!』ということで調べてみることにしました。

宮城大弥選手のご家族は、WBCグッズ購入の行列に並んでいるのをマスコミにみつけられたり、ラーズ・ヌートバー選手のご両親とランチをしている映像がテレビで流れたりと、とても明るい話題を振りまいてくれています。

しかし宮城大弥選手の家族構成は?で調べていくと、幼少の頃の貧乏話等も出てきました。

どんな幼少期だったのかも含めて早速調べていきますね。

 

宮城大弥の家族構成は?

宮城大弥選手は、両親と妹さんの4人家族です。

うわさではお父さんとお母さんは再婚同士で、それぞれに子どもがいて、妹さんの他にお兄さんが3人、お姉さんが3人いるということが言われていました。

しかし事実かどうか公表されてはおらず、詳しいことはわかりませんでした。

 

宮城大弥の両親と兄弟の関係

映像で見る宮城大弥選手のご家族は、笑顔の耐えない明るいご家族で素敵な関係に見えますね!

 

宮城大弥と両親の関係

お父さんのお名前は、宮城亨(みやぎ とおる)さん(55歳)

お母さんのお名前は、宮城礼子(みやぎ れいこ)さん(55歳)

お父さんは、冗談をよく言うおもしろいお父さんだそうです。

宮城大弥選手とは小さい頃、キャッチボールをしたり、野球の話をしたりと……。

とても子煩悩なお父さんだったようです。

お母さんも宮城大弥選手が小さい頃は、一緒に走ったり、キャッチボールをしたり……。

大人になってからはLINEやビデオ通話を楽しんだりと、まるで友だちのような素敵な関係です。

WBCの決勝戦には、アメリカまで応援に駆けつけたご両親。

WBCでの宮城大弥選手の姿を見て「大弥がいつもニコニコして楽しそうでした」と語り、みんなから愛されている息子をみて安心したそうです。

「よくここまで成長してくれた。まっすぐに育ってくれた」と大舞台を楽しむ息子を見て、誇らしく思ったようです。

理想的な親子関係で本当に素晴らしいですね。

 

宮城大弥と兄弟の関係

かわいいと評判になっている妹の弥生(やよい)さんは、高校2年生(17歳)でモデルをしています。

弥生さんは小さい頃からモデルや女優の世界に憧れていました。

そのため高校は芸能界に入るための専門校に通っています。

高校進学にあたっては進学するかどうか悩み、兄の宮城大弥選手に相談したそうです。

その際「迷っているなら少しでも興味があるということだから、やってみたらいいんじゃない。我慢する必要はないよ。学費は自分が出すよ」と兄の宮城大弥選手が背中を押してくれたそうです。

2019年のドラフトでオリックスから1位指名を受けた宮城大弥選手ですが、そのドラフトの特番でお母さんと一緒に妹の弥生さんがテレビに映りました。

そしてWBCの際に妹の弥生さんがメディアに出て「妹さん、大きくなったね」「かわいい女の子が、とてもきれいになって……」と評判になりました。

妹の弥生さんは宮城大弥選手の寝顔の写真を自分のスマホの待ち受けにする程、お兄ちゃんのことが大好きです。

(※現在はWBCの優勝の際に、家族と大谷翔平選手と一緒に撮った写真が待ち受けになっていました)

2023年3月15日東京ドームでは、2時間待ちのグッズ売り場にお母さんと一緒に並び、タオルやパーカー等のWBC応援グッズを50点程購入したそうです。

宮城大弥選手から「自分のグッズは買わなくていいよ」と言われたようですが、「どうしても欲しくて」と話していました。

いつもニコニコしていて人懐っこい性格の宮城大弥選手は、妹さんからも愛されているんですね!

 

宮城大弥の貧乏話

宮城大弥選手が1歳の頃、100均でバットとボールを買ってもらいそれが気に入り、野球人生がスタートしました。

4歳で少年野球チームに入りました。

しかし当時の宮城家は生活が苦しく、6畳一間家賃2万8千円のアパート暮らし。

ビニール製のおもちゃのグローブしか買えない程でした。

小学5年生の時にようやく買ってもらった軟式グローブは、硬式野球部になってもずっと使い続け、U-15 ワールドカップで出場した際も使ってたそうです。

 

宮城大弥の貧困の理由

宮城大弥選手の父親が左腕に障害(引き抜き損傷)を持っていたこともあり定職につけず、収入は不安定で生活保護に頼る程生活は苦しかったようです。

お父さんの左腕の障害は、中学3年生の時に交通事故にあった時の後遺症だそうです。

交通事故にあうまではお父さんも野球をしていました。

交通事故にあわなければ、野球の推薦で九州の高校に入学できるはずだったとのことです。

宮城大弥選手の野球の才能は、お父さんから受け継いだものも大きいかもしれませんね。

 

宮城大弥の光熱費貧乏話

水道・ガス・電気代が払えず、何かしら止まっていたと宮城大弥選手が語っていました。

電気がよく止まっていたため、ローソクを常備していたそうです。

水道が止められた時にはお風呂に入れず、公園でペットボトルに水を入れてきて、ポットで温めて体を拭いていたそうです。

小学3年生の時には、お風呂に入っていないことをチームメイトに「くさい」等いじられ、悲しい思いもしたそうです。

宮城大弥選手はチームメイトにいじめれられたり、家計のことも考えたりし、野球を辞めてしまおうと思ったこともあったようです。

しかし父親から「チームメイトのいじめは許してやれ。お前がピッチャーでボールを投げている時には、後ろでチームメイトが守ってくれているんだ」ということを言われたそうです。

そんな言葉をかけてあげられるお父さんは素晴らしくて、本当に優しい方ですね。

 

宮城大弥のカレーライス貧乏話

お金のない月末には、具の入っていないカレーが1週間程続くこともあったようです。

お母さんが「ごめんね」と宮城大弥選手に声をかけた際には、「うちは、シーフードカレーじゃなくて、ノーフードカレーだ」とお父さんと同じことを言って、文句ひとつ言うことはなかったようです。

涙が出てきそうですね。

 

宮城大弥のユニフォーム貧乏話

宮城大弥選手は新しいユニフォームが買えず、ツギハギだらけのユニフォームを着ていました。

ツギハギだらけのユニフォームを見て、チームメイトの方が恥ずかしくなったこともあったとか……。

しかしチームメイトが恥ずかしがっても宮城大弥選手は全く気にせず、「野球ができるなら、ツギハギだらけのユニフォームでもいい」と言っていたようです。

 

宮城大弥の遠征費貧乏話

中学に入ると、“宜野湾ポニーズ”という強豪のクラブチームに入りました。

しかしクラブチームの遠征費用が年間80万円程かかることから、お父さんお母さんはその費用を捻出すため、寝る間も惜しんで働いたそうです。

お父さんはレンタカー店、葬儀店、寮父、畑仕事をかけ持ち、2時間の睡眠時間で休みなく働いたそうです。

お母さんもパート勤めをしたそうです。

それでも80万円という高額の遠征費を払えず待ってもらうこともあったとか……。

なんとか80万円の遠征費を払い終えると、周囲の保護者からは「どこでお金盗んできたの?」と泥棒扱いされることもあったとか……。

そんなお父さんとお母さんの苦労を見て、「いつか恩返しするから」と宮城大弥選手は野球に励み、今があります。

 

宮城大弥基金の話

宮城大弥選手は2019年オリックスに入団した時の契約金8千万の内、2千万円を地元の野球チームや自治体に寄付をしています。

お父さんが「プロ野球選手になるために支えてくれた周りの人に、恩返ししよう」と言われたことがきっかけとなり、財団も設立しました。

財団では経済的に苦しい子供たちがスポーツをすることができるうように、返済不要で小学校から高校までの支援金を渡すそうです。

またスポーツ店を開業予定で、貧しい家庭には体操着や運動靴等を融通が効くように販売するとのことです。

本当に「素晴らしい」としか言いようがありませんね。

 

まとめ

『宮城大弥の家族構成は?両親と兄弟の関係や貧乏話を調査!』ということで、お届けしましたが、いかがだったでしょうか?

宮城大弥選手の家族構成は、お父さん、お母さん、妹さんの4人家族で、仲のよい素敵なご家族でした。

宮城大弥選手はまだ21歳。

今後の活躍を期待し、ずっと応援していきたいですね。

 

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